それは、まず展示のほとんどすべてが一本の木から彫りだされる「一木彫」であること。失敗は許されないのですから、仏師の真剣さが伝わります。そのひと彫りひと彫り自体が、祈りそのものであったに違いありません。
幾度の困難を経てやってきた唐僧、鑑真(がんじん)が連れてきた仏師たちの手による作品は、それはもうため息ものの美しさでした。日本史の授業で話を聞いただけでは何とも思っていませんでしたが、彼が盲目になってもなお伝えたかったものが何なのか、時を超えて伝わってきたような感じです。
会場には、展示されていた仏像さまに拝んでいるお客さんの姿もありました。それを目にしたとき、よく争いごとの原因にもなる、「この宗教でないからダメだ」といった、そういう排他的な感情が削ぎ落とされる静かな音が聞こえたような気がします。私自身、心の中で、でしたが、お祈りを捧げました。
実は相方から「結婚したらカトリックに改宗してほしい」と言われ、もめたことがあります。うちは神道(しんとう)なのですが、自分の信じているものを失うだけならまだしも、なんだか押しつけられているようで、嫌なのです。「ゆっくり考えていいから」と言われましたが、私のなかで結論は同じ。私は変わりたくないのです。宗教って、無理に信じなくてはいけないものではないと思います。この会場で手を合わせていたお客さんや私のように、自然にわき起こる優しい気持ち、それが宗教の原点だと思うのです。
展示は大きく四章に分かれ、そのうちに名仏師と言われる円空と木喰(もくじき)の作品のコーナーがありました。木喰という仏師の作を目にしたのは初めてでしたが、とても心安らぐ、微笑ましい仏さまばかりでした。彼はこんな歌を残しています。
「みな人の 心をまるく、まんまるに どこもかしこも まるくまんまる」
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