いまさらですが、なんで日本語教師になったかという話。
高校生のころ、周りとうまく馴染めなくて、1人で映画ばかり観ていた。
それで英語が好きになって、外国に目を向け、海外文通なんかを始めた。ヘタクソな英語でも自分の意志が海を越えて海外に伝わるのが楽しかったのだ。(当時、世界中に30人ぐらいいました)
そんなわけで、進路を考える時期になったとき、英米語学科に行きたいなと思うようになったのだけど、そのころ読んでいた雑誌に、故天本英世氏(「死神博士」で有名)が語るこんな記事を見つけた。
「自分の国のことばも知らないで、英語だスペイン語だなんておかしい。まず自分の文化をしっかりと見つめないと」。
ああそうか、と思った。英語は本でも勉強できる。自分でなんとかなるはずだ。日本語を勉強したら、自分自身のことがもっとわかるようになるかもしれない。
当時の私にとって「ことば」は本当に神秘的なものだった。ことばは刃物と同じ。上手に使えば、とっても便利で生活を豊かにしてくれる。でも同時に、使い方によっては人を傷つけもする。
そして、日本語学科というのがある大学に入った。
この頃は、詩人になりたいと思っていた。それが、大学2年…3年…と進むにつれ、映画評論や雑誌編集の仕事に魅力を感じるように。学生の分際で、リトルモアに面接していただいたこともあったっけ…。
大学3年の、ゼミを決めないといけないという頃のこと。たまたま聴講していた講義で、教授が出席カードの代わりに「質問カード」というのを配った。そして「あなたの特技は何ですか」という質問の答えを書くよう言われた。
人に自慢できるような特技なんて、これといってない。だから「特技はないけど、人を楽しませるのが好きです」と書いて、出した。
1週間後の同じ講義の時間。終わったとき、その教授に呼び出された。何だろうと思っていたら「あなたは私のゼミに入らないとダメだ」と言われた(笑)
この先生、厳しいけど本当に人間味にあふれていて、その後の私の考え方に多大な影響を与える存在となる。
私は所謂「就職氷河期世代」だ。就職に向けいくつも面接したがダメだった。ちなみにこのときは一般企業に就職を希望していた。
就職できなかったので、アイリッシュレストランでアルバイトを始めた。1年働いたら、それで貯めたお金でアイルランドに留学しようと思っていた。
バイトにも慣れてきた、6月の蒸し暑いある日のこと、家に帰ると母親に「先生から電話があったよ」。
かけてみた。
先:「あぁ。突然だけど、韓国と中国、どっちに行きたい?」
C :「んー、辛い料理が好きだから韓国がいいですね」
先:「あー、韓国はね、キャンセル待ちなんだよ。中国だったらすぐ行けるんだけど?」
C:「中国も、行ってみたいですよ」
先:「実はね、知り合いが中国に日本語学校をつくったんだけど、先生がいなくて困ってるんだよ。で、だれか良い人紹介してくださいと言われたから、どうかな。あなたの後輩が4月に行くことになってるから、それまでの間の半年間でいいみたい。…どう?今、仕事やってるの?」
C:「あ、まぁ。アルバイトですけど」
先:「あ、じゃあすぐ辞められるね」(笑)
C:「で、先生。いつからなんですか?」
先:「ちょっと急なんだけど、来月」
C:「うーん、ちょっと考えさせてください」
先:「わかった。でも、あんまり考えないほうが良いと思うよ」
…てなわけですぐ本屋に行ってとりあえず『地球の歩き方 中国』を購入、現地の情報を調べてみた。
一応載っていたが、別段見どころのなさそうな街。旧満州。冬が長く、猛烈に寒いらしい、ということしかわからなかった。
あれこれ思案しても、どうにもならないだろう。
それで、10分後には再び先生に電話をかけ、こう言っている自分がいた。
「行きます」。
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