今年に入り季節が二度変わって、もう何年も何年も初級止まりの中国語をどうにかしたい!と思うようになり、J&T交流サイトというところに登録したら数名の台湾人友達ができた。その後、Facebook(以下、FB)にも同様のグループページがあると知り、会員申請したのが8月。ROM状態(ただ見ているだけのこと)も良くないなあと、日中併記で自己紹介文を書いてみたら、なんと「いいね!」が300以上つき、友達も一気に増えた。
もうこうなると、台湾はわたしにとって「他人」ではない。中国語がうまくなるにはやっぱり住んだほうがいいに決まっている。そんなわけで、「留学」の2文字も頭をよぎるようになった。とりあえず中国語を浴びたい。そう思って、台湾行きを決めた。
前回この「星」を訪れてから、はや8年。自分でもちょっと信じられない。
どのぐらい変わっただろうか…それを見るのもまた、楽しみでもあった。
実はわたしは台湾とは深いつながりがある。自分自身これまでほとんど意識したことがなかったが、母方の血縁者は台湾で生まれたり、育ったり、働いたりしている者が多い。わかりやすいところで言うと例えば曽祖父(母の父の父)はかつて台湾で教師をしており、その息子つまりわたしの祖父も台湾生まれ・台湾育ち。また、祖母(母の母)も台湾で育っている。もっとも当時の台湾は「日本」だったのだが。
そのことに関し、話はちょっと遡るけれど…東日本大震災の直前に大叔父が亡くなり、彼の遺言の関係で、系図をちゃんと調べようということになった。両親、叔母、その他親族みんなで協力して、10代前まで遡って、先祖の経歴を調べ、仔細に記していった。
その中で、それほど昔の人でもないのに、曽祖父のことはあまりわからなかった。わかっていたのは、「日本統治時代、台湾で教師をしていた」ことだけ。しかし、ちょうど私が台湾行きを決めた頃、何の気なしに曽祖父の名前をgoogleで検索してみたら、かなりの検索結果が出てきたのだ。台湾総督府のデータベースにもヒットした。曽祖父が書いたと思われる書物を、卒業論文の参考文献にしている学生もいた。
そうやって、突如わたしの前に「現れた」曽祖父。気になってしかたがなかった。けれどもわたしの中国語レベルは初級。どうしたらさらに詳しいことがわかるのか、数名の台湾人に相談もしたが、皆目見当がつかなかった。
FBの交流ページで、ある台湾人男性の存在に気付いたのは、そんなときのことだった。
彼は、その交流ページ内のある投稿に対してコメントを入れていた。彼の意見がわたしと一致していたことが印象に残っている。そして日本語の学習意欲が高い台湾人の中でも、とりわけ彼は上手で、一見すると日本人かと思うほどだ。また、彼の放つ言葉には、優しさ、穏やかさ、そして客観的観念が感じられた。そこで彼のプロフィールページを覗いてみると、なんと、わたしが留学を考えている大学「政治大学」の学生さんであるとわかった。
日本人が台湾に中国語留学をするとき、そのほとんどは「師範大学」へ行く。しかし、どういうわけかわたしの周りには「政治大学」で学んだ人が圧倒的多数だった。そして異口同音に「政治大学で良かった」と言っている。それを知り合いの台湾人に話すと「あそこは山だ」「山だぞ」と言われて「どれほどの山あいなのか?」とさらに関心(笑)を持つようになった。
そんなわけで、今回の訪問で政治大学に行ってみたいと思っていたので、思い切って彼に直接コンタクトを取ってみた。彼の名はQさん。
すると…「僕の大学に入りたいと思っていただいて光栄です」に始まって、台北駅からの行き方を懇切丁寧に教えてくれた。しかもわたしの中文学習に役立つだろうからと、日中併記で。ほかにも、文章のあちらこちらに彼の心配りを感じた。こんな人が世の中にはいるのだなぁと感激して、お礼を言ったのだが、そのとき、彼のプロフィールを見て気がついてしまった。専攻は「台湾歴史学」…。
もしかして、ひょっとして、…彼に手助けしてはもらえないだろうか?あのことを。
そう思って、お礼かたがた、曽祖父のことを話し、どうしたら調べられるかを聞いてみることにした。曽祖父は本当に20年も台湾にいたのか?どんな教師であったのか?すると、Qさんはたった一晩で、曽祖父がどの学校に赴任していたかという当時の資料、また曽祖父のことが書かれている新聞記事などの写真、そしてその解説まで送ってくれた。曽祖父が育てたという台湾人、魏さんのことも、魏さん本人の回顧録が図書館にあったからとわざわざ借りてきて、どんなことが書いてあったかを話してくれた。
いろいろなことが、不思議だった。なぜこのタイミングで彼と知り合ったのだろう?見も知らない日本人のお願いをどうして彼はこんなにも快く引き受けてくれるのだろう?恩人であり、同時に魔法使いみたいだ。
初め、彼は高雄在住だと誤解していたのだが、今は台北に住んでいるという。今回のスケジュールはかなりタイトだったが、それでも最後の1日半のどこかで大学の見学をするつもりだ。それで出発の直前に、どうにか直接お目にかかる約束を取り付けた。やっぱり直接会ってお礼が言いたかったから。そして、出発の1週間前に見つかった曾祖母の『台湾の思い出』という手記をお渡ししたかった。
旅の日程は5泊6日(うち、初日は空港泊)。航空券を手配した当初は台北のみに滞在する予定だったが、母の「宮原眼科のお菓子がほしい」とのリクエストで台中へ。台中まで行くなら台南にも行っちゃえ!とルートを考えているところに、長年聴いているバンド「五月天」メンバーの歌&サイン会が高雄であると判明、それも盛り込んで、分刻みの旅程表ができあがった。当然、行く先々でいろいろな人にも会う予定だ。
だ、大丈夫かな…。でも、もう行くしかない!
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