行ってきました。
中学生だったか、高校でだったか、美術の教科書に載っていたなんとも不思議な1枚の絵。
なんだか人形のような人々。
鏡を覗き込むその視線といったら、どこか気味が悪いほど。
彼の絵にはちょっと「毒」がありました。どれもなぜか気になる。
そののち、その画家の描く1枚の絵の少女の名が「テレーズ」だと知り、その絵をMacの壁紙にしていたほど一時期は「中毒」になっていました。
今回、上野で公開される、しかも日本初公開の絵や彼のアトリエも再現されると聞いて、これは行かなくては!と思ったのです。
(一度休館日に行ってしまい、見たい気持ちがさらにヒートアップ)
最終日間近で混雑していましたが、それでも行ってよかったです。
彼の描く人物の視線が交わらないわけ…それは、異なった時空をその絵の中に持ち込んでいるからというのもひとつの理由。
「絵の中に『過去』があるんだ」と彼は言います。
また、わたしにとって魅力的なのは、猫が絵の中に現れるところ。
夫人の節子さんのお話では「『自分は雄猫のにおいがするので、遊んでいるといつも雌猫がミャオミャオ言ってあとをついて歩いてきた』と、得意げに話しておりました」とのこと。
また自分自身を猫の姿で絵に取り入れたりもしています。
今回の展覧会では、彼がこどもの時に描いた40枚の絵物語『MITSOU』(ミツ)がフィーチャーされていましたが、これはバルテュスと当時飼っていた猫のフライトナーと過ごした日々が題材になっているそう。
これは本として出版もされたそうですが、有名な詩人リルケが序文を寄せています。
(リルケはバルテュスの母親の恋人だったそうで…)
少女のきわどい絵で注目されがちなバルテュスですが、彼にとっての少女というのはいわば蝶になるまえの蛹のようなもので、「これから何かになろうとしているが、まだなりきっていない、この上なく完璧な美の象徴」。
どこかエキゾチックで、ころころ気が変わったり、ふてくされたりするピュアな彼女たちは、戦争という不穏な世の中に彼が見いだした希望のようなものだったのかもしれません。
(レストランに飾るために依頼された「地中海の猫」に描かれている女の子も、大人たちの会話に退屈し、その場からいなくなってしまった女の子をモデルにしているとのこと)
「鏡の中のアリス」も、彼に言わせれば当時有名になるためには「あえてセンセーショナル」にしたとのことで、賛否両論あっても自分を貫く姿勢がいいなと思います。
彼の絵の構図が面白くて、ただ見ているだけでも、今あれこれ思い悩んでいる写真の撮り方にも応用できそうで、ちょっとしたひらめきも浮かびました。
「アーティスト」と呼ばれることを何より嫌ったバルテュス。
ここまでの絵は描けなくても、やっぱり描きたいものを描くのが楽しいし、作りたいものを作れるのが何より最高のことだと感じて、美術館をあとにしました。
東京での展示は終了してしまいましたが、これから京都で開催です。
気になるかたはぜひ!
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